2大メーカーの技術の集大成「トヨタ86」でもその道は決して平坦ではなかった!トヨタと富士重工業(以下スバル)との共同プロジェクトでの技術者内での対立、会社間での方針や流儀の違いなど

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トヨタ86が現在の形になるまで苦難の連続でした。トヨタと富士重工業(以下スバル)との共同プロジェクトでの技術者内での対立、会社間での方針や流儀の違いなど、枚挙いとまがありません。ここでは、そんな困難なプロジェクトを成功に導いた一人の技術者を紹介します。

49b923803051cc78da39afc27641ff69_s出典 : http://www.photo-ac.com/

トヨタ自動車所属の多田哲哉氏とトヨタ86開発秘話

多田哲哉氏について

多田哲哉氏は、初代パッソ、初代ラクティス、2代目ウィッシュなどの開発主査を歴任している実力者です。 1 今回のプロジェクトに参加した経緯は、2007年1月のトヨタ役員会議にて、安価なスポーツカーを開発することが決定し、若手技術者2人とともに新しいスポーツカー開発に任命されたところから始まりました。2015年4月からのトヨタ組織改革でモータスポーツ本部のスポーツ車両統括部長となりました。現在、BMWとのスポーツカー共同開発も担当しています。 2

「86」という車名について

あるときのことです。多田氏は、86開発にあたり、「日本車からスポーツカーが年々減ってしまった理由のひとつに『スポーツカーは儲からない』という考えがあります。当初は、自動車業界の未来を考えると、スポーツカーは赤字覚悟でもやるべきものなのだ」と考えていました。しかし、あるときロードスターの生みの親である貴島氏に相談したところ「赤字でもいいから作っているなんて思うのは大間違いだ!」と一喝されたことにより考え方を変えたそうです。ロードスターの生産が続いているのは、トータルして利益を出しているからです。貴島氏はそのことを多田氏に伝えたかったのでしょう。赤字でも良いと言うのは、甘えであり、結局景気に左右されて売れなくなれば製作をあきらめざるを得ないというのは、ものづくりの基本なのだと。その情熱・信念が現在の86の売り上げであり、今日の開発へと繋がっているのです。一旦は、スポーツカーを作らなくなったトヨタですが、「86」を開発するにあたり、途切れてしまったスポーツカー文化を戻したい、継承して行きたいそんな想いがこの「86」という名前に込められています。 3

紙一重でのスバルとの共同開発

共同開発ゆえに技術者間の衝突がたえなかった」と多田氏。この衝突には、今回のプロジェクトが両社開発費折半であることから、両社の技術者は対等の関係にあったことも影響しているのでしょう。 4

一般的に共同開発は上手くいかないことが多いのは、メーカーの方針や技術者のプライドなどぶつかり合い話が平行線になることが多いからです。取り分けエンジンでは、水平対向エンジンに直噴エンジンの技術を取り入れることにスバルサイドは難色を示したそうです。それでもなんとか共同エンジンが出来てそれが思った以上に良い出来だったので、それがきっかけでお互いリスペクトしあえたそうです。「力を合わせれば必ず良い車ができる」まさに言葉通りの出来だったそうです。通常自動車の開発には数年しかかけないのですが、86は開発に5年も費やしました。かなりの長丁場で心が折れそうになったこともあったようです。「僕自身にとっても、86は“人生の証”と言っても良い車。86を造れて、本当に幸せですよ」と多田氏。 5

“使うコンピュータを極力減らそう”

開発の苦労話のひとつに、次のようなエピソードがあります。「86を開発する上で最初に決めたのは、“使うコンピュータを極力減らそう” 6ということでした。どこまで減らせるかやってみようと。ただ、どうしても減らせない部分はありました。普通のクルマだと20以上のプロセッサを搭載しており、86でも10以上のプロセッサを搭載しています。」と多田氏。悔しそうに語っておられました。車の電子技術が向上してきたとはいえ、メカニズムをそこまで削減するというのは、なかなか容易ではないようです。

なぜ86だったのか?

“なぜ86開発なのか?”と思うかも知れません。これには、次のようなエピソードがあります。あるときミニバン「ウィッシュ」の開発担当だった多田氏は、役員室に呼ばれ、「とにかくスポーツカーを作ることになったから。何にも決まってないけど、とにかくおまえ作れ」と言われました。若いスタッフの今井氏とともに「何を作るんだ」という検討を重ねました。今井氏は、トヨタに入社して以来、AE86の中古車しか乗ったことがないというくらいのAE86好きです。またAE86以外、他のトヨタ車には興味が無いという程。そんな彼は、「トヨタがスポーツカーを作るのであれば、AE86を現代のテクノロジーで復活させるしかない」と言い続けていたそうです。その結果、86を開発することになりました。そして多田氏もスポーツカーの研究をするようになったそうです。 7

86のコンセプト

86のコンセプトは、走る楽しさを追及した「直感ハンドリングFR」のコンセプトを実現するために、小型・軽量・低重心・低慣性を特長として企画・開発された小型スポーツカーとして開発されています。 8
「86(ハチロク)」という名前になったのは、息の長い人気を誇るAE86の「自分だけの1台を楽しみながら育てる」精神を継承し、「お客様とともに進化する」スポーツカーを目指すという意味を込めて命名されました。 9