名勝負として伝説的に語られるのは、1965年(昭和40年)7月18日の船橋サーキットにおける全日本自動車クラブ選手権レースでの浮谷東次郎氏の優勝です。
ホンダS600とトヨタスポーツ800(略称 ヨタハチ)のデッドヒートのレースとして有名です。16位からの追い上げは後世に引き継がれているほど話題を呼びました。当時ホンダ・S600を操縦していたのは、生沢徹氏です。 1 24周目生沢氏の集中が切れた一瞬の隙を狙っての逆転劇でした。これは浮谷氏とこの車だから成し遂げられた偉業だと思われます。 2
トヨタ86 買取 目次
まだまだあるぞ!「ヨタハチ」伝説
無給油で鈴鹿500kmレースを走破
1966年の第1回鈴鹿500km耐久レースです。ここでもヨタハチは伝説を作りました。無給油のまま500kmを完走し優勝したのです。本レースにはフェアレディ1600、スカイラインGT、ホンダS600など有名どころがたくさん出ているます。それに比べるとヨタハチは非力で誰もが注目すらしていない無名の車種でした。しかし、蓋を開けるとヨタハチは予想に反して快走だったそうです。後半にはトップに位置していて、そのままの勢いで優勝しまったのです。
なぜこんなことが起こり得たのでしょうか?
後になって、他車は給油に手間取っていたことが分かりました。それに対してヨタハチは無給油のため、時間ロスがなく、どんどん差を広げて行くことが出来たのです。
今回のヨタハチの勝因は、こう考えられます。
「ヨタハチ」についての豆知識
「ヨタハチ」とは、トヨタ・スポーツ800の略称のことです。トヨタの「ヨタ」と800の「ハチ」を取っています。
トヨタ・スポーツ800は2人乗りクーペ(※1)で、真っ赤なボディと小型のスポーツカーが特徴です。自動車博物館などでしか見かけることができない程に貴重な車で愛好家に好まれています。トヨタ86に比べ手軽に買えるライトウェイトスポーツカーです。
※1:1列の主座席を有し、2枚ドアの、箱型乗用車 4
ヨタハチはFR駆動方式(※2)となります。初代カローラの開発でも主査を務めた長谷川龍雄氏が携わっていることは有名です。 5
※2:フロントエンジン・リアドライブ方式:後輪駆動のこと
長谷川龍雄氏は、カローラの他にも、初代トヨエース、初代パブリカ、初代セリカ・カリーナの主査を務めています。1978年から1982年まで専務取締役を経て退任されました。2004年には日本自動車殿堂入りを果たしました。現職時代、トヨタの主査ポジションの後継者養育に力を注いでいました。 6
トヨタ・スポーツ800の性能
パブリカ用のU型(空冷水平対向2気筒OHV・700 cc)エンジン流用が考えられていましたが、最高速度150 km/h 以上を企図した性能確保には非力であるため、約100 cc の排気量拡大とツイン・キャブレター装備によって790cc・45psの2U型エンジンを搭載しました。 7
こんなに非力で、実際スポーツカー耐えれるのか疑問に思われたことでしょう。実際レースでは、トヨタ・スポーツ800は軽量ボディを採用したことにより操縦性が向上しました。その結果、燃料消費やタイヤ摩耗が少なく済み、ピットインの回数を減らしてライバル車との差を広げて行きました。これが、トヨタ・スポーツ800の弱点であるエンジンの非力さをカバーしている点であり、一番の売りとなります。
トヨタ・スポーツ800の燃費
トヨタ・スポーツ800は低燃費車だと言われています。その理由は、超軽量な車体(580kgと軽自動車より軽い)と空気抵抗を減らしたフォルムだそうです。 8
800ccのエンジンでたったの45馬力ですが、走りは抜群に良かったのです。当時の方法で測ったカタログ燃費は、31km/Lでした。現在の測り方でも23~25km/Lと言われています。 9
このことからもトヨタ・スポーツ800の燃費が優れていたことが分かると思います。
そのため今でもトヨタ・スポーツ800が今でも愛されているのがわかります。それがプレミアカーと言われるゆえんなのかもしれませね。「ヨタハチ」から広がったこの世界。まだまだ語ることはたくさんあります。でも、その話はまた後日。